6時10分朝食・・・それまでに荷物をバスに積んでチェックアウトを完了させる・・・朝食後はすぐに出発!という、選手だけではなく、我々運転手たちにも過酷なスケジュールでした。
そんなハードスケジュールだったことが要因のひとつだったと思われますが、食事中に1名、体調不良を訴えました。まだチェックアウトしていない千葉コーチの部屋に移動させるか、バスで休ませるか・・・と、判断を求められているとき、某チームの監督の奥様が、「私、看護師です!」と、手をあげて駆け寄ってきてくれました。「病人を見ると、突然スイッチが入るんだよね。」と、カッコいい奥様を誇らしげに紹介してくださいました。すぐに椅子を並べて横に寝かせ、バスから毛布を持ってきて、しばらくそのままにしました。そして、豪雨だったので、大きな観光バスではなく、マイクロバスをレストランの脇まで、マイクロ運び、そこに担ぎ込み、バスの中で寝かせました。
そのマイクロバスを指導者が宿泊しているホテルに横づけし、急いでチェックアウトし、うさぎ島グラウンドに向かいました。選手たちは川口さんの大型バスで先にうさぎ島に着き、アップを開始・・・しかし、7時15分くらいから、大雨が・・・さらに、30分くらいから、暴風が・・・対戦相手の大和シルフィードさんが、「これでは試合は無理ですね。しばらく様子を見ましょう」と、言ってこられたころ、大会本部から、「8時キックオフの試合は中止」という判断が下されました。その後、9時キックオフの北陸大フィオリーレの監督さんがやってきて、「すみません!帰ります!また機会があればお願いします!」と。千葉コーチのところには、11時10分キックオフのW世代(和田世代)の監督とZ世代のコーチを擁する岡山学芸館さんが、「岡山に帰ります!すみません」と、伝えたという情報が入り・・・大会事務局と協議の上、大会中止の決定となりました。
費用を徴収しておきながら大会を中止にする責任、最悪のコンディションの中で、大会を実施する責任・・・運営事務局は、どちらにしても責任を追及されてしまいます。サッカーを愛するssbeeの脇田社長とは、25年の付き合いなので、彼の想いはよくわかっています。チームや選手の満足度を高めることと、時之栖に損出を出させないことの狭間に立ち、判断に苦しんだ2日間だったと思います。「2日目が終わった段階の天気予報を見て、大会を中止にして、1泊2日分の費用を返金する・・・なんてことをすると、時之栖でサッカーの大会を実施すること自体が難しくなる。一方で、岡山から12時間かけて参加したチームや、選手権の最終調整と思っているチームにとっては、悪天候の場合の代替えプランがないと、魅力あるフェスティバルにならない」
気候変動が、サッカーの夏の遠征にも大きく影響している・・・そう考えさせられた6泊7日でした。
「家の帰り方、覚えているかなあ」なんて、面白いことを言っている高1がいました。私が北海道土産に買ってきたじゃがポックルが、エグゼフカップから参加したオーストラリア海外研修参加選手たちに配られていたので、「これ、誰がくれたものかわかるか?」と、質問してみました。すると、渡す方も、渡される方も、「わかりません」という返答でした。しばらく経ってから、高2のK選手が、「あっ・・・インターハイの運営かあ」と、気づき、高3のS選手が、「あっ、北海道で津波と闘いながら、買ったんですよね。」と、反応してくれました。渡すときに、「これ、私から君たちへのお土産だよ」と、ちゃんと言わないとわからない・・・「空気読め」の時代は終わり、「情報を正確に伝えろ」という時代になった・・・そう思いました。サッカーと同じですね!
夏の遠征が終わり、雨合羽を忘れたことを後悔しつつ、川口さんがバレーボール部のインターハイ(岡山)の帰り道に、サッカー部の大会観戦にデカバスで立ち寄ってくれたことに感謝し、そして千葉コーチが本当によく動いてくれて、選手たちもできなかったことができるようになり、成長を感じることができました。
思いやり、挨拶、笑顔・・・還暦ジジイたちが教育目標に掲げがちな言葉ですが、今回の遠征を通して、社会で共生するために必要なスキルを高めることができたかと思います。来年以降は、異常気象に配慮しつつ、遠征を再考していきたいと思います。
※グラウンド到着後、体調不良の生徒に高2の選手と、某選手のお母様が付き添ってくださいました。保護者の方がすぐに迎えに来られ、8:45には、引き渡すことができました。帰宅後、体調も回復したと、報告がありました。もし最終日じゃなかったら、もし川口さんのデカバスがなかったら、もし高速が渋滞していたら・・・と、いろいろ考えると、神様はまだまだ味方してくれていると思いました。